2011年3月11日東日本大震災 復興&脱原発 |
健康文化会・小豆沢病院では2011年3月16日から第一陣の震災地現地支援を宮城県に派遣し、その後も原発事故による深刻な放射能被害にあった福島県も含め約1年間にわたり様々な支援を行いました。
地域のみなさんからも、たくさんの義援金や物資をお寄せいただき被災地に届けました。改めて御礼申し上げます。
引き続き東日本の復興と、生命を脅かし生活を破壊する放射能被害の危険を持つ原発をゼロにするために力を合わせていきましょう。
【原発ゼロの社会を目指して】
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◆小豆沢病院医師(小児科) 篠田 格
◆支援期間
◆支援場所 |
4月28日から5月1日までの4日間、医療支援として宮城県石巻周辺に行ってきました。津波による被災地とそれ以外の被災地の落差がとても大きかったと感じました。支援の拠点となった塩釜市にある坂総合病院近くのコンビニエンスストアでは、おにぎりやお弁当が揃っていましたが、津波の被害を受けた海沿いの地域はまだ瓦礫がころがっていて生活の場が奪われたままでした。
石巻市の避難所を訪問し、診察を行いました。避難所で生活している方々はカーテンもない大部屋で寝起きしておりプライバシーがない生活を送っていました。震災発生後から糖尿病のインシュリン注射を中断している方がいました。避難所近くのクリニックは再開していましたが、通院が困難なため行くことができないとのことでした。集団生活のため特に感染症に対する注意が必要ですが、2週間以上も咳が続いている方でも受診を控えていました。震災発生から1ヵ月半たっても避難所での生活はまだまだ大変であり生活支援が必要な状況でした。 塩釜市にある拠点病院の坂総合病院では当直を行い、子供を含む下痢や嘔吐の患者さんの診察を行いました。 小豆沢病院・健康文化会では全日本民医連の医療チームの一員として、これまでに29人が被災地の医療支援を行いました。全日本民医連からは延べ12,035人が被災地に入り、医療や生活の支援を行っています(5月17日現在)。私たち小豆沢病院はこれからも継続して被災地支援を続けていきたいと思います。
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◆小豆沢病院看護師(外来) 飯塚康野
◆支援期間
◆支援場所 |
震災から6日目、3月半ばというのに雪や冷たい風の舞う寒い宮城でした。実質2日半で6ヶ所の避難所の訪問を行いました。訪問にあたり、医師、看護し、事務など他職種、各1名ずつでチーム編成しました。地元に詳しい友の会の方も同行してくださり、助かりました。
避難所である小中学校や体育館の環境は物資や暖房も場所により、かなりの差がありました。避難所には身一つで出てきて家を失った方も多く、実際に被災者の方の声を聴くと、うなずく事しかできませんでしたが「遠くから来てくれてありがとう」との声をいただき、逆に励まされてしまいました。
血圧や体温測定、療養相談や風邪薬などの臨時処方を行いました。今一番困っていることについて伺うと「高血圧や糖尿病などの定期の薬が切れている」「下着が取り替えられない」「お風呂に入れず、皮膚症状を発症している」ことなどでした。私たちのできることは本当に限られていましたが、まだまだ行き届いていないことを報告することが私たちの役割だと信じて毎日の報告書にたくさん記入して来ました。
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◆小豆沢病院看護師(2階病棟) 川口寛和
◆支援期間
◆支援場所 |
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◆小豆沢病院理学療法士 青木幸平
◆支援期間
◆支援場所 |